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防府天満宮御神幸祭(裸坊祭)
Hōfu Tenmangū Gojinkōsai
山口県防府市の防府天満宮で千年以上続く、天満宮で最も重要な祭り。白装束の裸坊およそ5,000人が「兄弟わっしょい」の掛け声とともに、重さ500kgの御網代輿を大石段から滑り降ろし、菅原道真ゆかりの勝間の浦まで往復する。毎年11月の第4土曜日と、翌日曜日のあとまつり。
次回
2026年11月28日〜29日
27日後
毎年 11月第4土曜 から 2日間
今後の開催: 2026年11月28日 / 2027年11月27日 / 2028年11月25日
由来
昌泰4年(901)、無実の罪で大宰府に左遷された菅原道真は、本州最後の寄港地としてこの地の勝間の浦に船を着け、天皇のいる都とまだ地続きのこの地で「無実の知らせ」を待ちたいと願った。延喜3年(903)に道真が大宰府で亡くなると、翌年、周防の国司がその願いどおりこの松崎の地に社を建てた。防府天満宮の始まりで、神社は日本で最初の天満宮としている。寛弘元年(1004)、一条天皇の勅使が防府に遣わされ、初めて天皇から道真に「無実の罪」が伝えられた。御神幸祭はこの勅使降祭を起源とし、毎年道真の御霊に「無実の知らせ」を伝える祭りとして受け継がれてきた。はじめは大行司・小行司や限られた家柄の者しか奉仕できなかったが、江戸時代後期に天神信仰が高まると、一般の人々も身の潔白を示すことで供奉を許された。人々は佐波川の冷水で身を清め、そのままの姿で奉仕したことから裸坊と呼ばれ、祭りは裸坊祭とも呼ばれるようになった。
見どころ
午後6時、拝殿正面の扉が開くと数百人の裸坊が一斉に拝殿へなだれ込み、重さ500kgの御網代輿が天満宮正面の大石段を地響きを立てて滑り降りる。境内は「兄弟わっしょい」の掛け声で一気に熱を帯び、先頭神輿、第一神輿と次々に担ぎ出された神輿を千人もの裸坊が囲む。およそ5,000人の裸坊が入り乱れるさまは、西日本屈指の荒祭として知られる。石段を下りた御網代輿は台車に載せられて御神幸の行列に加わり、約2.5km離れた勝間の浦のお旅所(浜殿)へ向かう。浜殿では勅使降祭の故事にならって「無実の罪」が奏上され、行列は再び市内を通って午後9時ごろ天満宮へ帰る。神社が見てほしいと呼びかけているのが、この帰りに御網代輿が大石段を手綱で駆け上る姿。
見方と作法
防府天満宮の神事で、裸坊は白装束で奉仕する一般の人々。裸坊として参加するには、神社に申し込む。御神幸祭を終えた御網代輿は回廊に安置され、その下をくぐる「御網代くぐり」で天神様のご加護がいただけるとされる。くぐれるのは、御網代輿が帰った直後から翌日の午後8時まで。
行くなら
見るなら土曜の午後6時、御網代輿が大石段を滑り降りる御発輦と、夜の御帰還。防府天満宮へは、JR山陽本線の防府駅から歩いて約15分。防府駅天神口からのバスで防府天満宮下車、歩いて3分。祭りの日は交通規制がある。翌日曜のあとまつりには、およそ200人の女性が担ぐ天神おんな神輿が、地元の小学生の天神囃子隊とともに市街を練り歩く。
会場
防府天満宮・防府市街(勝間の浦)
防府市, 山口県
地図で開く出典
- 防府天満宮「御神幸祭」(第1023回 令和8年11月28日、御発輦午後6時・御帰還午後9時頃、松崎の社の創建、勅使降祭、裸坊の由来、約五千人、御帰還の大石段、御網代くぐり)
- 防府天満宮「アクセス」(御神幸祭は11月第4土曜日・翌日曜日、交通規制、防府駅から徒歩約15分、バス)
- 防府観光コンベンション協会「御神幸祭(裸坊祭)」(毎年11月の第4土曜日、18時に拝殿の扉が開く、500kgの御網代輿、勝間浦まで約2.5km、午後9時ごろ帰還、2日間)
- 防府観光コンベンション協会「天神おんな神輿」(御神幸祭のあとまつりの日、約200人の女性、天神囃子隊)
- 観光庁 地域観光資源の多言語解説文「防府天満宮 裸坊祭(御神幸祭)」(毎年11月第4土曜日、1004年の勅使、英語の解説)
- 山口県観光連盟「防府天満宮御神幸祭(裸坊祭)」(2026年11月28日、58段の大石段、当日は交通規制)
- 市報やまぐち 2025年11月1日号「山口ゆめ回廊」(防府 御神幸祭 11月22日(土)18時開始)